目の光は心を喜ばせ、良い知らせは人を穏やかにする。(箴言15章30節)
1.詩篇56篇8節―13節
2.マタイの福音書6章19節―24節
3.ヨハネの福音書1章1節―5節
4.ローマ人への手紙10章10節―15節
イエス様は「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、からだの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身がくらいでしょう。もしあなたのうちに光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。だれも、ふたりの主人に仕ええることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。(マタイの福音書6章22節―24節)」と、目は小さな器官ですが、目で何を見ているかによって心の状態や生き方に影響が及ばされることを話されました。確かにやみは、恐れや不安をもたらし心が暗くなり、色を失ってしまい「お先真っ暗」という言葉が象徴するようにどうしてよいのかわからず、全く希望のない、絶望的な状態をもたらしてしまうのではないでしょうか。一方、光は目に快いものであり、光があるからこそさまざまな色や美しい光景を見ることができますし、心が期待感に満たされ、喜びがあたえられるのではないでしょうか。イエス様は「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネの福音書8章12節)」と仰せられました。今日の聖句「目の光は心を喜ばせ、良い知らせは人を穏やかにする」を心に据えて、心が喜びに満たされるように、日々信仰の創始者であり完成者であり、世の光であるイエス様を見上げて目に光をもつだけでなく、イエス様が「あなたがたは世界の光です(マタイの福音書5章14節)」と仰せられたのですから、私たちも世の光として輝くために人を穏やかにしてくださる良い知らせ、すなわちいのちのみことばしっかり握って生きようではありませんか。