どうか忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。(ローマ人への手紙15章5節―6節)

1.ヨハネの福音書17章16節―23節
2.使徒の働き2章34節―47節
3.ピリピ人への手紙1章29節―2章16節
4.テモテへの手紙第二2章1節ー14節

イエス様は十字架にかけられる前、父とイエス様が一つであるようにキリスト者が一つとなることを願うとともに、そのことが実現するために必要なのは真理のみことばに生き、神のうちにとどまることができるように願い、祈られました(ヨハネの福音書17章19節―21節)。パウロもイエス様と同じように「どうか忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」と、物事を決定するために意見をすり合わせてなんとか意見を一つにするようなものではなく、キリスト者が同じ思いを持ち、心を一つにして主をほめたたえて生きることができるように忍耐と励ましの神に祈っておられます。神はご自分の民イスラエルがエジプトで苦しんでいるのを見て、数々の奇蹟をもってエジプトから導き出され、荒野を旅するときにもいつもともにおられるだけでなく生きるために必要なものを与えられたにもかかわらず(申命記1章31節―33節)、欲望にかられると不信仰に陥って十度も主を試みて主の御声に従わなかったにもかかわらず(ヨシュア記14章22節)、それでも忍耐をもって民を導かれ、ヨシュアに対してはモーセとともにいたようにおられ見捨てることはないことを約束するとともに強く雄々しくあるように励まされたように、私たちの信じている神は確かに忍耐と励ましの神であることがわかります。福音書の弟子たちの心は一つではありませんでしたが、聖霊に満たされた初代教会のキリスト者たちは心一つにして宮に集まり、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美していたので主は毎日救われる人々を仲間に加えてくださったのでした(使徒の働き2章46節―47節)。心を一つにしてくださる聖霊が与えられていること、神がどのような方であり、イエス様がどのように生きられたかを忘れないようにしようではありませんか。