義は平和を作り出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)
1.マタイの福音書5章17節―20節
2.マタイの福音書6章27節―33節
3.ローマ人への手紙4章19節―5章11節
4.エペソ人への手紙2章10節―19節
イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と仰せられました。なぜなら、彼らの義は律法による自分の義で、自分を義人だと自任して他の人々を見下すようなものであり、平和を作り出したり、平穏と信頼をもたらしたりするようなものではなく、かえってイエス様にことばの罠をしかけ、最終的にはねたみ(マタイの福音書27章18節)、群衆を扇動してバラバの代わりに十字架につけたのでした。パリサイ人であったパウロは律法による自分の義に生き、ステパノのメッセージを聞きながらもステパノが殺されることに賛成していただけでなく、祭司長たちのようにナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと自分でも考えてキリスト者を迫害していたのでしたが、今日の聖句が「義は平和を作り出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と語っているように、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義こそ、神との平和を、人間関係にも平和をもたらすことができることを、しかもそれを可能にするのはイエス様を信じる信仰による以外にないことを知る者となり「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです、(ローマ人への手紙14章17節)」と、食べ物のことでキリスト者が互いにさばくようなことをしないように勧めています。神の義が恵みによって与えられていること、どんなことも益としてくださる主がいつもともにおられとりなしていてくださることを感謝するとともに御国の民とされていることを喜び、主が願っているような信仰生活をおくるために、パウロが「だれかほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」と勧めているように、互いに赦し合いながら生きようではありませんか。