恵みとまことによって咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)

1.イザヤ書53章1節―12節
2.ヨハネの福音書1章1節―17節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー11節
4.ヘブル人への手紙10章1節― 18節

パリサイ人として生きていた時のパウロは神に対して熱心でしたが律法による自分の義に生き、自分の考えでキリスト者を迫害していたのですが、キリスト・イエスを知ることによって、「私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。(ピリピ人への手紙3章6節―9節)」と語るとともに、キリスト者を学外していた時はイエス様を信じていなかったからであり、恵みを知らずにしたことであったために哀れみを受けたことを話されてから、「私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。(テモテへの手紙第一1章13節―14節)」と、恵みに生き続けられたことを語っています。パウロは自分がキリスト者を迫害していた時の過去を思うと、自責の念や罪悪感に悩まされて宣教の働きにブレーキがかかってしまうのではないでしょうか。彼が使徒として働きを全うできたのは十字架の恵みに、キリストにある者として生きられたからではないでしょうか。今日の聖句は「恵みとまことによって咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。」と、語っています。主を恐れる、すなわち神がどんな偉大な方であるかを、私たち雨を罪や咎から贖うためにイエス様がどれほどの苦しみを受けられたかを忘れずに、パウロのように恵みとまことに満ちておられるキリストにある者として恵みを無駄にしないように生きようではありませんか。