わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイの福音書11章29節)

1.ヨハネの福音書14章22節―27節
2.エペソ人への手紙4章17節―24節
3.ピリピ人への手紙2章3 節―11節
4. ヘブル人への手紙4章14節―16節

イエス様は群衆と弟子たちに「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。(マタイの福音書23章1節―4節)」と、「モーセの座」、すなわちモーセによって与えられた律法、すなわち、みことばを守り行うことは大切でも、律法を知っていても神のことばを空文にしている(マルコの福音書7章1節―13節)律法学者やパリサイ人の生き方をまねないように話されました。一方、イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と仰せられてから、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と、イエス様のところに来たなら、座ってしまうのではなく、その後、どのように生きるべきかを話されました。くびきは牛などが畑を耕すとき、牛がまっすぐに耕すように制御するために頸(くび)にかえられた横木ですから、イエス様のくびきを負うということは、イエス様の御支配のもとに自分を置き、みことばに生きるなら、おのずとたましいに安らぎが与えられることをはなされました。心身ともに疲れを覚えたとき、詩篇68篇19節が「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」と語っているように、癒し主であり、私たちの重荷を日々追ってくださっている主をほめたたえようではありませんか。