イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。(詩篇1307節)

1.箴言3章3節―7節
2.ヨハネの福音書1章14節―17節
3.ガラテヤ人への手紙3章6節―14節
4.エペソ人への手紙1章3節―7節

イスラエルの民はエジプトにおいても多くの奇蹟を体験しただけでなく、後方からエジプト軍が迫り、前方には紅海と絶体絶命と思われた状況下において主は紅海を二つに分られ、民が対岸に渡ると海水を元に戻したので後を追って来たエジプト軍がひとり残らず溺死したのを見て主の偉大さを知り、主をほめたたえたにも関わらず、いざ約束の地であるエモリ人の山地にまで着いたにもかかわらず、民は約束の地について悪く言いふらした者たちのことばを信じ、神である主と主の約束を信じないで「エジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」などと言い、民に約束の地は良い地であったことを話すとともに「主にそむいてはならない。」と助言したカレブとヨシュアを石で殺そうとしたので、主はヨシュアとカレブ以外の二十歳以上の者、モーセさえも約束の地に入れないことを宣言されるとともに、彼らが願ったように荒野で死ぬために、向きを変えて葦の海への道を荒野に向かって旅立つように、一部の民がエモリ人の山地に戻って戦おうとしたので、戻って戦わないように告げられたのに主のことばに従わずに戦った結果敗北し逃げ帰ったのでした(民数記13章27節―14章10節、申命記1章19節―45節)。思わぬことが起きたり、間違えたりするとパニック状態に陥ってしまい、自分でなんとか修復しようとあせって更なる間違いを起こしてしまうようなことがありますが、神を知っていながらたびたび不信の罪を犯した民に今日の聖句が「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。」と勧めているように、十字架で示された神の愛を、恵みによって罪や死、律法の呪いから贖われているだけでなく邪悪な良心さえもきよめられ、神の子とされていることを思い起こし、「アバ、父」と主に助けを求め、主を待ち望み新しい力(イザヤ書40章31節)やソロモンのように神の知恵や判断する心ををいただこうではありませんか(列王記第一3章9節ー12節)。