神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙第二1章2節―3節)
1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇107篇4節―9節
3.ヨハネの福音書6章32節―40節
4.ヤコブの手紙1章5節―7節
イエス様は祈るとき、異邦人のように同じことばをただ繰り返して祈らないように仰せられてからその理由として私たちの父なる神は、私たちがお願いする先に、私たちの必要をご存知であるから、と話されてから「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように、みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を強もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」と祈るように仰せられるとともに、衣食住のことで心配するよりも 神の国とその義とをまず第一に求めるなら、それに加えて衣食住は与えられる(別訳:備えられる)ことを約束されました(マタイの福音書6章7節ー13節及び27 節ー3節)。悪魔に試みられたイエス様は「『人はパンだけで生きるのではなく、神の一つ一つのことばによる』と書いてある。」と、人は日々食料が必要なように神のことばが日々必要であることを話されたのでした。そのことを踏まえてペテロは「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈られてから、その理由を「というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」と語っています。私たちの必要をご存知なだけでなく、必要を満たしてくださる恵みとまことに満ち、私たちの信仰がなくならないようにとりなしておられ、この世が与えることのできない平安を与えてくださる主がいつもともにおられることを感謝し、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)」と告白されたダビデのように生きようではありませんか。