目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

1.ルカの福音書22章31節―45節
2.ピリピ人への手紙4章4節―7節
3.テサロニケへの手紙第一5章15節―19節
4. ペテロの手紙第一5章7節―11節

イエス様はペテロが悪魔に試みられることを、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろう、死であろうと、覚悟はできております。」と申し上げると、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられ、それから弟子たちとともにゲッセマネの園に行き「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われたのですが、弟子たちが眠ってしまったのでした。「「主よ。ごいっしょになら、牢であろう、死であろうと、覚悟はできております。」と申し上げたペテロに「シモン。眠っているのか。一時間でも目を覚ましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。(マルコの福音書14章37節―34節)」と、悪魔の試みに勝利するためには目を覚まして祈ることの大切さを話されました。よみがえられたイエス様にお会いし、死に勝利するいのちを知る者となったペテロは「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、悪魔に立ち向かいなさい。(ペテロの手紙第一5章8節―9節)」と、パウロも「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と勧めています。悪魔は目には見えませんが、キリスト者が信仰に生きないように、この世のことだけに目を止めさせ、この世の人々と同じように恐れの中に生きるように仕向けてきます。どんなことも益としてくださる主が、信仰がなくならないように祈っていてくださる主がいつもいっしょにいてくだされることを感謝するとともに、祈りによって主との関係が強められることを心に据えて、たえず祈るようにしようではありませんか。