あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のためにの、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(マルコの福音書10章44節―45節)

1.マタイの福音書20章20節―28節
2.ヨハネの福音書13章1節―17節
3.エペソ人への手紙6章5節―9節
4. ペテロの手紙第一4章7節―11節

だれが一番偉いかなどと論じ合っている十二弟子たちに「だれでも先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者になりなさい。(マルコの福音書9章33節―35節)」と、仰せられたのにも関わらず、ヤコブとヨハネが「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください(マルコの福音書10章36節―37節)」と、願い出たのを聞いた他の十人が腹を立てたので、イエス様は再度「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のために、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と、仰せられたのでした。イエス様は十字架にかけられる前に愛を残るところなく示され弟子たちの足を洗われたのですが、それは当時奴隷の仕事でしたので、ペテロが「主よ。あなたが、わたしの足を洗ってくださるのですか。」と申し上げると、イエス様は「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」と、「決して私の足をお洗いにならないでください。」と申し上げたペテロに「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」と仰せられたのでした。復活の主にお会いし、聖霊に満たされたペテロは「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」と勧めています。ところで、イエス様は人に仕えることはイエス様に仕えることになることを話されました(マタイの福音書15章31節―40節)。つぶやきが出るような時、人に仕えることは慈しみふかく恵みとまことに満ちておられるイエス様に仕えていることであることを思い起こし、それぞれに与えられた賜物を無駄にすることなく、喜びをもって互いに支え合い、仕え合おうではありませんか。