ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。(テモテへの手紙第一5章24節)

1.詩篇73篇1節―28節
2.伝道者の書12章13節―14節
3.コリント人への手紙第二5章7節―10節
4.ヘブル人への手紙6章10節―12節

このところフィリピンの収容所の様子や強盗殺人を指示したと思われている四人について毎日のように報道されており、彼らの罪が明らかにされてしまいましたが、今日の聖句は「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」と、罪にしても良い行いにしても人の目には明らかにされないようなことがありますが、人には一度死ぬことと死後、神のさばきを受けることが定まっている、とヘブル人への手紙9章27節は語っています。ところで、パウロは「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節―24節)」と、また「私にはやましいことは少しもありません。だからといって、しれで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章4節―5節)」と、キリスト者の場合は、イエス様が全生涯の罪を取り除いてくださったので称賛が届くと語っています。強制送還される四人や刑に服している人々だけでなく、すべての人に恵みとまことを実現してくださったイエス様が必要なことを心に据えて人々の救いのために祈ろうではありませんか。