聖書箇所
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。(ペテロの手紙第一4章12節―13節)
<関連聖句>
1.ローマ人への手紙4章19節―5章5節
2.ヘブル人への手紙12章2節―13節
3.ヤコブの手紙1章2節―4節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節
<メッセージ>
ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えたにもかかわらず、イエス様がエルサレムで苦しみを受け、殺されるけれども三日目によみがえることを話されると、彼は「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」とイエス様をいさめ始めたために、イエス様から「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイの福音書16章15節―23節)と、更に「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと覚悟はできております。」と申し上げましたが、イエス様が「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたように彼は三度イエス様を知らない、と言ったのですが、三度目にイエス様が振り返られて彼を見たとき、ペテロはイエス様のことばを思い出して激しく泣いたのですが、それは「サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」と仰せられたようにサタンの試みによるものでした。ペテロもヤコブもヨハネと一緒に山で主が栄光の姿に変えられたのを見ていたにもかかわらず、十字架にかけられたイエス様のそばにマリアと一緒に立っていたのはヨハネだけでした。自分に失望し、挫折したにもかかわらずペテロは「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」と、ヤコブも試練を喜ぶように勧めていますが、それは、死からよみがえられたイエス様に再会し、聖霊に満たされたからではないでしょうか。キリストの苦しみは、ゲッセマネでご自身を父なる神にゆだねられ十字架の死にまで従われたことを意味しているのではないでしょうか。神との関係よりも人間関係に、みことばよりもこの世の知恵に心を向けさせようとするサタンの策略に陥らないように、サタンに勝利され、すべてのことを、私たちの失敗さえも益とイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。