私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)
1.コリント人への手紙第一1章18節―24節
2.コリント人への手紙第一2章1節ー12節
3.コリント人への手紙第一15章3節―10節
4.エペソ人への手紙1章3節―19節
パウロはキリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上で自分が迫害していたのは人ではなくイエス様であったことを知らされただけでなく、天からの光を見たため、目は開いていても何も見えなくなってしまったために人に手を引いていただいてダマスコに着くような状態になり、自分の力のなさを経験されたのでしたが、主はパウロのもとにアナニヤを遣わされ、視力を回復されただけでなく聖霊を与えられ、キリストの証人とされたので、彼は諸会堂では神の子であることを宣べ伝えたのでした(使徒の働き9章1節―20節及び26章9節―20節)。キリスト者となった彼は神の恵みを知り、恵みに生きる者となられ「私に対するこの神の恵みは、無駄にはならず、私はほかの使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章10節)」と、恵みとまことに満ちていおられるキリストに生きる者となり、迫害されることによってさまざまな状況を経験されましたが、獄中の中にあっても「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と勧めているだけでなく、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」と語ってから、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。」と告白されたのですが、それは、三度肉体に与えられたとげを去らせてくださるように主に願い求めましたが、主から「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたことによって、願いがかなえられなかったのは高ぶらないためであることを悟られただけでなく、弱さを嘆くのではなく、「弱いときにこそ私は強い」という信仰に生きられたからではないでしょうか(コリント人への手紙第二12章1節―10節)。自分には力がないように思わされることがあるような時、今日の聖句を思い起こし、死に勝利されたイエス様を仰ぎ見て、パウロのように主から神の力や神の知恵をいただこうではありませんか。