兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。(ヨハネの手紙第一2章10節)
1.マタイの福音書6章7節―15節
2.ルカの福音書17章1節―4節
3.エペソ人への手紙4章26節―32節
4.コロサイ人への手紙3章2節―15節
イエス様は「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩みなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光のこどもとなるために、光を信じなさい。(ヨハネの福音書12章35節―36節」と仰せられましたが、光を信じることは、人の光であるイエス・キリストを信じることであり、やみの中を歩まないためにはやみの中に輝いている光、すなわちイエス様にとどまることを意味しているのではないでしょうか(ヨハネの福音書1章4節―5節)。ヨハネは「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。」とつまずかない人生を歩むためには光の中にとどまる、すなわちイエス・キリストにあって歩むことと定義付けています。イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節及び17節)」と、仰せられましたが、弟子たちに示されたイエス様の愛は赦しであったのではないでしょうか。キリスト者になっても、ことばに限らず多くの点で失敗をしてしまうにもかかわらず、自分の義に生きてしまうと赦せない気持ちに支配されてしまうようなことがあるのではないでしょうか。パウロが「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい(エペソ人への手紙4章32節)。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ人への手紙3章13節)」と勧めているように、つまずかないために、主が願っておられるように互いに愛するために、神の愛に生きるために、主がとりなしていてくださり、赦されながら生かされていることを忘れずに生きようではありませんか。