悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(ペテロの手紙第一3章9節)
1.詩篇37篇1節―15節
2.マタイの福音書5章38節―48節
3.ガラテヤ人への手紙3章6節―14節
4. ヘブル人への手紙6章13節―19節
神は人に地のすべてのものを支配する支配権を与えられ祝福されたのですが、人はサタンに惑わされて罪を犯したために、祝福を与えてくださる神との関係にひずみが起こり、ソロモンが「日の下」、すなわちこの世を探索した結果「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(伝道者の書4章4節)」と語っているように、他者と競争しながら自分の力で祝福を得ようとするような生き方をするようになってしまったのではないでしょうか。ねたみによって十字架にかけられたイエス様は人々からあざけられたり、悪口を言われたりしましたが、そのような人のことばに反応せず、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)」と仰せられたように、かえってとりなして祈られたのでした。「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と勧めている今日の聖句に生きるために、ヨブやペテロのようにサタンの試みに合わされても、それを信仰の糧にされ二倍の祝福を与えてくださる神であることを(ヨブ記42章1節―10節)、この世が与えることのできない祝福、全生涯の罪が取り除かれているので、神にさばかれることなく、永遠のいのちが与えられていることを、王である祭司とされていることを忘れずに(ペテロの手紙第一2章9節)、人々のためとりなして祈ろうではありせんか。