わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節)

1.ヨハネの福音書13章1節―34節
2. エペソ人への手紙4章17節―32節
3.ヨハネの手紙第一3章18s越―20節
4.ヨハネの手紙第一4章7節―12節

イエス様は弟子たちがどのような行動を起こすのかを、ユダがイエス様を信じていないどころか裏切ることもご存じでありながら、弟子たちの足を洗われ愛を示されただけでなく十字架上で人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです(ルカの福音書23章34節)」と祈られたのでした。それまで十字架にかけられなからもイエス様をののしっていた犯罪人のひとりは心を変えて「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様は彼がののしっていたことを咎めずに「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰せられたのでした(マルコの福音書15章32節 ルカの福音書23章34節及び39節―42節)。箴言19章22節に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」とありますが、人の愛は感情に左右されるもの、自己中心のものであるために、何かの拍子に愛が冷えてしまったり、憎しみに変わったり、裏切られたりすることがあるために、変わらぬ愛を人に求めても失望してしまうのではないでしょうか。しかし、神はなだめの供え物として御子イエス様をこの世に遣わされ、この世にはない神の愛を示されたのでした。興味深いことにイエス様はご自身のことを人の子と称されました(マタイの福音書8章20節や9章6節など)。ですから、人の望むものである人の変わらぬ愛はイエス様にあるのです。イエス様の愛、すなわち神の愛の特徴は「赦し」ではないでしょうか。イエス様が「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と仰せられた戒めを守る秘訣は「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」というパウロのことばにあるのではないでしょうか。人を赦せない自分を責めるよりも(ヨハネの手紙第一3章18節―20節)赦されていることを感謝し、互いに赦し合って生きるようにしようではありませんか。