私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.ヨハネの福音書12章20節―28節
2.ヨハネの福音書17章1節―22節
3.コリント人への手紙第一6 章19節―20節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節

今日の聖句の前句1節に主の道に歩まなかったご自分の民に「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」と語ってから、今日の聖句が「私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と語っているように、贖われた者は神にとってどのような存在であるかを語っています。イエス様は「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。(ヨハネの福音書17章22節)」とキリスト者にはこの世の栄光ではなく、神の栄光が与えられていることを語っています。興味深いことに、イエス様は弟子たちに「あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」とその力について「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。(使徒の働き1章8節)」と御霊によるものであることを語られ、ペンテコステの日に炎のような分かれた舌が現れて弟子たちは聖霊に満たされ、聖霊に満たされる前の福音書の弟子たちは自分の栄光を求めるような生き方をしていましたが、彼らは聖霊に満たされ主の栄光を現す者、主をほめたたえる者に変えられたのでした。キリスト者はこの世の栄光や自分の栄光のために生きるのではなく、神の栄光を現すためにキリスト・イエスによって新しく造られた者であることを(エペソ人への手紙2章10節)思い起こして生きようではありませんか。