罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章34節)

1.ヨハネの福音書1章23節ー29節
2.ローマ人への手紙6章4節ー11節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー17節
4.ヘブル人への手紙717節―28

ペテロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(ペテロの手紙第一1章3節)」と、単なる希望ではなく「生ける希望」と、死によって消滅するような希望ではないこと、その保証がイエス様の復活によるものであることを語っていますし、今日の聖句は「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」と、キリスト者が罪に定められることがない要因について、イエス様が死からよみがえられた事と、とりなしていてくださっているからであることを語っています。パウロは「もしキリストがよみがえられなかったなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)」と語っている理由は、罪から来る報酬が死であるためであるために(ローマ人への手紙6章23節)イエス様が死からよみがえられたことがどれほど重要なことであるのかを語っています。旧約聖書の時代はいけにえをささげることによって罪の赦しは得られましたが、罪は取り除かれないために年ごとに罪を思い起こしてしまいましたが(ヘブル人への手紙10章1節―4節)、イエス様は罪を取り除いてくださるので、ヘブル人への手紙10章18節は「罪のためのささげ物は無用です。」と語っています。サタンは告発者で過去を思い起こさせ、罪悪感や罪責感をもって悩まそうとします。サタンの策略に陥らないように、キリスト者の罪は赦されているだけでなく取り除かれていることを、日々新たにされていることを心に据えて自分で自分を罪に定めて恵みから落ちるような生き方をしないようにしようではありませんか。