義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。(箴言4章18節)
1.ヨハネの福音書1章1節―5節
2.使徒の働き26章9節―20節
3.コリント人への手紙第二3章6節―18節
4.ヨハネの手紙第一2章7節―17節
パウロは旧約聖書を引用して「義人はいない。ひとりもいない。」と語ってから、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ人への手紙3章10節及び23節―26節)」と、興味深いことに、「義」は「我」の上に「羊」を冠としていただいているように、義人になるためにはイエス様との関係が不可欠であることを語っています。ですから、今日の聖句「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」は、キリストにあって義人とされたキリスト者は、義人の道、すなわちイエス様ご自身が歩まれたように歩むことを示唆するとともに、ちょうど夜を終わらせる夜明けの光のように、暗やみから解放され、神の愛や恵みの深さを知れば知るほどその輝きを増して、主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと姿を変えられることをも示唆しているのではないでしょうか。主が歩まれたように世の光として輝くためにいのちことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章14節―16節)。