私たちが滅びなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。(哀歌3章22節―24節)

1.創世記3章1節―21節
2.創世記4章1節―16節
3.詩篇103篇1節―14節
4.ヨハネの福音書1章14節―17節

アダムは善悪の知識の木から取って食べないようにと、神から直接警告を受けていながらも蛇に化身した悪魔のことばを信じて食べてしまった妻エバの声に聞き従って食べて罪を犯し、自分たちの考えで枯れてしまういちじくの葉をつづり合わせて、腰のおおいを作ったのですが、神は彼らたちを滅ぼさず、かえって皮の衣を作って彼らに着せてくだいましたし(創世記3章1節―21節)、カインとそのささげ物に主が目を留められなかったことに怒ったカインに「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と主が警告されたにもかかわらず、カインは弟アベルを殺害してしまったので、主は「あなたが土地を耕しても、土地はもはや、あなたのために力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人になるのだ。」と、仰せられたのは、その地に種を蒔いても収穫を得ることができなくなったためで、その地から追い出したのは、彼が生きるためでもあり、「私の咎は、大きすぎてにないきれません。」と告白し自分は殺されるのではないかと不安の中にいた彼にだれも彼を殺すことのないように一つのしるしを与えられたのでした(創世記4章1節―16節)。イスラエルの民は偶像崇拝をして罪を犯したためにバビロンに連れ去られましたが、主はエレミヤに彼らが帰還するだけでなく、ご計画をもっておられること、将来と希望を与えるものであることを語ったのでした(エレミヤ書29章10節―14節)。「うそも方便」といいますが、うそは方便ではなく罪ですから、罪を犯したことのない人はひとりもいません(ローマ人への手紙3章23節)。今日の聖句を心に据えて、どんなときにも「あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です」と、尽きない哀れみと恵みとまことに満ちておられる主がどんな時にも、いつでもともにおられることを忘れずに、主を待ち望んで生きようではありませんか。