人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその人の手をささえておられるからだ。(詩篇37篇23節―24節)
1.サムエル記第一30章1節―20節
2.イザヤ書46章3節ー13節
3.ルカの福音書22章31節―62節
4.ヨハネの福音書16章24節―33節
パウロは、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していましたが、ダマスコの途上にイエス様から声をかけられ、イエス様がキリスト、すなわち彼らが待ち望んでいたメシアであることを悟らされキリスト者になっただけでなく使徒とされたのですが、それは自分の願いではなく神がご用意されていた道であったことを語っています(ガラテヤ人への手紙1章1節)。ペテロはイエス様を三度知らないと言ってから三度目にはイエス様が事前にそのことを預言されていたことを思い起こし激しく泣いたのですが、イエス様は彼のために信仰がなくならないように祈られただけでなく、死からよみがえられてからご自身をペテロや弟子たちに現され、彼らを責めることなく「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムからユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられて昇天されたのでした。主が仰せられたように五殉節の日に聖霊が下り、ペテロは立ち上がって大胆に福音を語ったのでした。人はさまざまな失敗を繰り返しますが、箴言24章15節に正しい者は七たび倒れても、また起き上がることを語っています。今日の聖句「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその人の手をささえておられるからだ。」を心に据えて、どんなときにもすべてのことを益としてくださる主がいつもともにおられること、主にご計画があることを思い起こし、主を待ち望んで生きようではありませんか。