私たちは主を知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。(ホセア記6章3節)

1.ヨハネの福音書1章1節―17節
2.ヨハネの福音書4 章39節―42節
3.コリント人への手紙第一2章1節―5節
4.ピリピ人への手紙3章2節―9節

ヘブル人への手紙11章6節が「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」と語る一方、ローマ人への手紙8章6節−8節は「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」と対比的に語っています。ところで、今日の聖句は「私たちは主を知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」と、何よりも主がどのような方であるかを深く知るように勧めていますが、その理由として、暁の光、すなわち暗やみを照らす光をもたらすことができ、心を潤すことのできる方は主以外におられないことをあげています。パウロはイエス様のことを聞いて知っていましたが、キリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、イエス様がキリストであることを知った彼は「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。(ピリピ人への手紙3章8節)」と、主を深く知る者に変えられ、恵みを無駄にしない生き方をされ(コリント人への手紙第一15章9節―10節)「満ち足りる敬虔こそ、大きな利益を受ける道です(テモテへの手紙第一6章6節)」と教えてくださっています。どんな状況下にあっても恵みとまことに満ち人の光である主がいつもともにおられ助け導いてくださることを感謝し、暗中模索するような人生ではなくいのちのみことばをしっかり握って光の中を歩もうではありませんか(詩篇119篇105節、ピリピ人への手紙2章16節)。