悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。(箴言15章15節)
1.詩篇23篇1節―6節
2.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
3.ローマ人への手紙8章18節ー24節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー7節
イスラエルの民もモーセも多くの奇蹟を体験していたにも関わらず、彼らは約束の地への途上で恐れや欲望に支配されると、神の偉大さを忘れ不平不満をもらし、想像力を働かせて不吉なことを考え、一度や二度ではなく十度も不信の罪を繰り返したのでした(民数記11章4節―23節及び13章1節―14章24節)。イエス様はゲッセマネでご自分がどんな過酷な死を迎えるのかをご存じでもだえ苦しんで祈られ十字架上では「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイの福音書27章46節)」と大声で叫びましたが、ヘブル人への手紙12章2節は「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」と語るとともに3節では「あなたがたは、罪人のたちのこのような反抗を偲ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と勧告しています。今日の聖句「悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」を心に据えて、悩み続けるのではなく、サウルからいのちを狙われ逃亡生活を余儀なくされたダビデが「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。(詩篇23篇5節)」と語っているように、苦しみの後で復活をもって栄光を現されたイエス様のことを思い起こし、私たちの神は、どんなことも益としてくださる方であることを喜び、やがてイエス様にお会いする日が来ることを楽しみにしながら(コリント人への手紙第一13章12節)生活しようではありませんか。