知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(詩篇4篇3節)
1.出エジプト記8章20節―24節
2.出エジプト記33章12節―16節
3.ルカの福音書18章1節―8節
4.エペソ人への手紙1章1節―14節
主はモーセを立てられ、パロのもとに遣わされ、「もしもあなたがわたしの民を行かせないなら、さあ、わたしはあぶの群れを、あなたとあなたの家臣とあなたの民の中に、またあなたの家の中に放つ。エジプトの家々も、彼らがいる土地も、あぶの群れで満ちる。わたしはその日、わたしの民がとどまっているゴシェンの地を特別に扱い、そこには、あぶの群れがいないようにする。」とパロに仰せられたように(出エジプト記8章21節―22節)、主は数々の奇蹟をもって苦役に苦しんでいた民をエジプトから救い出されたのでした。ところで、イエス様が「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイの福音書5章45節)」と語られたように神は差別をすることはありませんが、モーセは主がいっしょにおられることによって地上のすべての民と区別されることを語りました(出エジプト記33章16節)。ところで、今日の聖句は「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。」と語っていますが、パウロが三度いやしを願っても高ぶらないためにその願いはかないませんでしたが、弱い時にこそ強いキリストの力おおうという奥義を知ることになったのでした(コリント人への手紙第二12章1節ー9節)。今日の聖句「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。」を心に据えて、神にとって特別な存在であることを忘れずに、自分が願ったり、祈ったりしても、自分が願ったような答えをえられないような時、パウロが「すべてのことを感謝しなさい。これが、キリスト・イエスあって神があなたがたに望んでいることである(テサロニケへの手紙第二5章18節)」と語っているように、願い通りに事が進まないことも主の応えであり、主の守りであることを感謝しようではありませんか。