信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル人への手紙12章2節)

1.マルコの福音書4章35節―41節
2.使徒の働き3章1節―16節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.ペテロの手紙第一1章18節―21節

世全体を支配している悪魔からイエス様によって守られているために、悪魔はキリスト者に触れることはできませんが(ヨハネの手紙第一5章18節―19節)、パウロが「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために神のすべての武具を身に着けなさい。」と、勧めているように、またヨブやペテロ、イエス様が悪魔の試みにあわれたように、悪魔はキリスト者を試みますが、ヨブのいのちを取ることは許されなかったように、神の許された範囲内に限定されていることを心に据えるとともに、悪魔はキリスト者に触れることはできませんが、火矢を遠隔から放ち人の力や知恵では防御できない飽和攻撃を仕掛けてきますので、悪魔が射って来る火矢を消すためには信仰に立つことが不可欠であることを語っています。ところで、今日の聖句は信仰を与えてくださり、信仰を完成してくださるイエス様から目を離さないように勧めています。ペテロは湖の上を歩いてこられたイエス様に「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と申し上げると、イエス様が「来なさい。」と仰せられたので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエス様の方に向かったのですが、風を見て、こわくなり、沈みかけてしまい主に助けを求めたので主は手を伸ばして助けられましたが「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と仰せられました。どこに焦点を合わせて生きるかが鍵なのではないでしょうか。キリスト者には再び恐怖に陥れる奴隷の霊を受けているのではなく聖霊によって「アバ、父」と主を呼ぶことができる特権が与えられていることを感謝するとともに、今与えられている信仰に生きるために神の力、神の知恵であるイエス様を見上げて生きようではありませんか。