主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩篇23篇2節)

1.詩篇116篇1節―15節
2.エレミヤ書6章10節―16節
3.マタイの福音書11章28節―30節
4.ヨハネの福音書10章1節―16節

ダビデは今日の聖句の前に「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」と語ってからその理由として「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と語っています。赤ちゃんはお腹が空いていると泣いて食べ物を要求し、満腹するとすやすやと眠りますし、何か不愉快な状態になると、その状態が改善されないと泣きやまないのではないでしょうか。緑の牧場に伏せることができる状態は満足感や心地良さに浸っている状況を表現しているのではないでしょうか。人をはじめ生物が生きるために水は不可欠なものです。子供たちが小さい頃は家族で登山をしました。登山道を歩いていくと水場がありますが、清流であっても、湧水であっても「この水は飲めません。」という注意書きがあるところもありました。ですから、安心して飲める水が必要であり、水なら何でも良いというわけでもないことは明白です。主は「いこいの水のほとりに伴われます。」と、安心してゆっくりできる休息できる水のある場所に導いてくださるのは主であることを語っています。イエス様はヤコブの井戸に水をくみに来られたサマリヤの女性に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネの福音書4章13節―14節)」と、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられました。思い煩いや恐れに襲われたり、欲に支配されて心の飢え渇きを覚えたりする時、主よりもこの世や自分に心が向いてしまっているのではないでしょうか。私たちに何が必要なのかを一番良くご存知なのは神であることを(マタイの福音書6章8節)、私たちのためにいのちをもささげてくださった良い羊飼いであるイエス様が日々導いてくださっていることを思い起こして生きようではありませんか。