いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章63節)
1.エゼキエル書37章1節―10節
2.ヨハネの福音書6章67節―69節
3.ガラテヤへの手紙5章16節―24節
4.テモテへの手紙第二3章16節―17節
イエス様は「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」と語っているように、キリスト者となったパウロは「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。(ローマ人への手紙7章18節)」と語ってから「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。(ローマ人への手紙8章6節―7節)」と、肉がどのようなものでありのかを告白しています。悪魔は空腹を覚えられたイエス様に「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言って試みたのですが、イエス様は「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と、人が生きるために身体にはパン、すなわち食べ物が必要ですが、人は神に似せて創造されたので、目に見えなく人の手で触れない、霊やたましいがあるために、神の口から出ることば、すなわち、みことばが必要であることを話されたのでした(マタイの福音書4章1節ー4節)。罪を犯すようにさせる肉や肉の欲望から守られるように、すなわち、人や自分の考えや情に流されないように、御霊によって歩むために、いのちのみことばをしっかり握って世の光として生きるようにしようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。