神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。(ヨハネの福音書3章17節―18節)

1.ヨハネの福音書5章19節―27節
2.ローマ人への手紙6章17節―23節
3.ローマ人への手紙8章33節―39節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節

今日の聖句に「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」とありますが、文脈から「世」とは、人類であることがわかります。イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と、ソロモンは「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。(伝道者の書7章16節:口語訳)」と、自分を義人と自任していたパリサイ人たちのように、義に過ぎる、すなわち自分こそ正しいと思ったり、賢きに過ぎる、すなわち、自分の知恵を誇り、自分では知者であると言いながら偶像崇拝をしているようであれば(ローマ人への手紙1章22節ー23節)、自分を滅ぼすような結果を招くことを語っています。すべての人は罪を犯しているために、すでに有罪判決がくだされていたのですが、神は、神の裁きから、罪や死から罪人を救うために御子イエス様をお遣わしになられたのでした。キリスト者は、神のさばきに会うことがないこと、罪に定められることがないこと、すでに死からいのちに、すなわち永遠の死から贖われて、永遠の命が与えられることを忘れずに、試練の中で苦悩するような状態にあっても、自分で自分をさばいて罪に定めるようなことをせず、救われていることを、主が信仰がなくならないようにとりなしていてくださることを喜び、主の平安をいただいて心安らかに生きるようにしようではありませんか。