私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。(詩篇1461-2節)

1.詩篇95篇1節―3節
2.詩篇100篇1節―5節
3.エペソ人への手紙1章3節―14節
4.ヘブル人への手紙13章5節―15節

ヤコブの手紙5章13節は「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と勧めています。苦しんでいるときには主に祈りますが、果たして喜んでいるときに主を賛美しているか、と問われると、主に感謝をすることはあっても、主を賛美する、すなわち主をほめたたえ、主に栄光を帰すことを怠ってしまうようなことがあるのではないでしょうか。サウルはダビデを非常に愛して自分の道具持ちにしたのですが(サムエル記 第一16章21節)、ペリシテ人の戦いに勝利して帰還したとき、イスラエルのすべての町々から出て来た女性たちが、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながらサウル王を迎えたのですが、彼女たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と繰り返し歌っていたために、サウルは非常に怒り、不満に思って「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と言い、その日以来ダビデを疑いの目で見るようになり、ダビデのいのちをねらうようになってしまったのでした。もし女性たちが「サウル王とダビデを用いられて主は勝利を与えられた。主をほめたたえます。」と主を賛美していたら、サウルはダビデに対してねたみを起こすような肉の思いにかられなかったのではないか、と思わされました。今日の聖句「私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。」はダビデの信仰告白です。私たちの心が肉の思いから守られるために主がどのような方であるかを忘れず、主をほめたたえるような気分にならないような時には十字架を、永遠のいのちが与えられていることを思い起こして王である主の前にへりくだって賛美のいけにえをささげるようにして、いかなるときにも主を誉めたたえるように心がけようではありませんか。