神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3章16節)
1.ヨハネの福音書6章38節―40節
2.ローマ人への手紙6章17節―23節
3.ローマ人への手紙8章23節―39節
4.ヘブル人への手紙10章32節―39節
パウロはキリストを信じる前は、「あなたがたは自分の罪禍と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者としていまも不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章1節―3節)」と、生きていても罪から来る報酬は死であるために「死んでいた者」と、世全体を支配している悪魔の支配下あったこと、神の怒りを受けるべき立場にあったという三つの要素を語っていますが、今日の聖句が「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と語っているように、罪や悪魔、神の怒りから救い、永遠のいのちを与えるために神は御子イエス様を遣わされ、御子を信じる者は、ひとりも滅びることはない、と私たちの行いに左右されない恵みの世界を語っています。キリスト者であってもダビデのように、自分のいのちを愛して神がどのような方であるかを忘れ、自分の考えや肉の行いに走ってしまうようなことがありますが、罪に定められないようにイエス様がとりなしていてくださることを(ローマ人への手紙8章34節)、ダビデに約束されたように、罪を犯したときには人の杖や人の子のむちをもって懲らしめることをされますが、キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことができるものは何もないことを(サムエル記第二7章14節ー15節、ローマ人への手紙8章39節)、永遠のいのちが与えられていることを心に据えて生きようではありませんか。