肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人への手紙8章3節)

1.ローマ人への手紙3章19節―26節
2.ローマ人への手紙6章17節―23節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
4.ヘブル人への手紙2章6節―3章1節

そもそも人類に死が入ったのはアダムが神のことばよりもエバの声に聞き従って善悪の知識の木の実を食べて罪を犯したことによるものでした。やがてユダヤ人にはモーセによって律法が与えられ、異邦人には律法の命じる行いが心に書かれていますが、(ローマ人への手紙2章14節―15節)、パウロが「さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。(ローマ人への手紙3章19節―20節)」と語るとともに、善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないのは自分のうちに住む罪であることを自覚して「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれが、この死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と自問する中で「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。」と、イエス様が人として遣わされたことの意義を語りました。ピラトは、イエス様が十字架にかけられることになったのは祭司長たちや指導者たちのねたみであることに気がつきましたが、それさえも神のご計画が成就されるためであったことを思うと、絶句してしまいます。今日は金曜日、十字架を思い起こす日でですが、すべてのことを働かせて益としてくださる神と神の愛を十字架で示してくださったイエス様をいつも思って生きるようにしようではありませんか。