どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。(テサロニケへの手紙第二2章16節―17節)

1.コリント人への手紙第二1章3節―5節
2. エペソ人への手紙 3章7節―19節
3.ピリピ人への手紙4章8節―13節
4.ペテロの手紙第一1章3節―9節

「先生、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいでしょう。」と尋ねた青年にイエス様は「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と、イエス様が仰せられると、彼が「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と尋ねたので「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と仰せられると、彼は多くの財産を持っていたので、悲しんで去ったのでした。彼は隣人を自分なりに愛していたのでしょうが、主が願うような愛し方ではなかったのでした。人の行いには限界があります。ですから、今日の聖句は「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」と、あらゆる良いわざとことばに進むためには、神ご自身のお働きが不可欠であることを語っています。心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように罪人の手によって十字架にかけられた信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないようにヘブル人への手紙12章2節―3節が勧めているように、神がどのような方であり、どのようなものをお与えくださったかを忘れないようにしようではありませんか。