主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)
1.詩篇34篇11節―18節
2.エレミヤ書17章9節―10節
3.マタイの福音書15章1節―17節
4.ヨハネの福音書2章23節―25節
今日の聖句はサウル王の次の王としてサムエルを遣わされた主が、エリアブを見て「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と思ったサムエルに仰せられたことばです。主はサムエルにダビデに油を注ぐように導かれましたが、ダビデは多くの罪を犯し、その度に心砕かれたのですが、主に立ち返ると主は導きや勝利を与えられたのでした。それゆえダビデは「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51篇17節)。主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる(詩篇34篇18節)。」と語っています。パウロも自分のうちに罪があることに気づいて心の葛藤を覚え「私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と嘆きましたが、キリスト・イエスにある神の愛からどんなものも引き離すことはできない、という確信を持たれたのでした。ローマ人への手紙1章22節―23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、人は神によって創造されたために潜在的に神の存在を知ってはいますが、今日の聖句が語っているように人の心をごらんになられるまことの神である主をご存知ないと、人はとかく人の評判を気にしながら生活をするために、箴言14章13節が「笑う時にも心に悲しみがあり、喜びのはてに憂いがある。」と、心のうちを隠しながら幸せそうに振る舞い、ひとりになった時にそのギャップに悩むようなことがあるのではないでしょうか。精神的ダメージを受けておられる方々が、心のうちをご存知な主に、神の愛をお示しくださったイエス様にお会いできるように祈ろうではありませんか。
