あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙第一10章13節)
1.申命記8章1節―18節
2.ヨシュア記3章1節―4節
3.ヨハネの福音書14章1節―6節
4.コロサイ人への手紙3章2節―4節
ペテロはキリスト者には神の守りがありながらも信仰の試練にあって悲しむことがあることを語っています(ペテロの手紙第一1章5節―7節)。ヨブ(ヨブ記1章と2章)やイエス様、ペテロ(ルカの福音書22章31節)のように悪魔がキリスト者を試みることが許されることもありますし、罪を犯すと試練が臨みますが、主に罪を告白するとともに十字架でその代価が支払われていることを思うと、神の恵みやあわれみ、神の愛の深さを知る道へと導かれたことになるのではないでしょうか。パウロが受けた試練の数々を見ると(コリント人への手紙第二、ことばを失ってしまうほどですが、「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」と、どんな状況にあっても脱出の道があることを語っています。彼は囚われの身でありながら驚くべきことに「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)」と勧めていますが、その秘訣は「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」と仰せられた、死からよみがえられたイエス様のことをいつも思っていたからではないでしょうか(テモテへの手紙第二2章8節)。人間関係やさまざまな出来事で悩まされるようなとき、神の右に座しておられるイエス様はすべてのことをご存知なだけでなく、すべての人の心をも見ておられることを思い起こし、天はいつも開いていますから、恵みに生きるために主を仰ぎ見て、すなおに主に助けを求めて生きようではありませんか。
