あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.詩篇56篇1節ー4節
2.エペソ人への手紙2章1節―9節
3.ピリピ人への手紙4章6 節―7節
4.ヨハネの手紙第一4章13節―18節

はイスラエルの民を約束の地に導くヨシュアに「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と約束されてから三度も「強くあれ、雄々しくあれ」と、しかも三度目には「恐れてはならない、おののいてはならない。」と、励まされたのはヨシュアが恐れの中にあったことを意味しているのではないでしょうか(ヨシュア記1章1節―9節)。大軍が攻めてくることを知らされたヨシャパテは恐れましたがひたすら主に祈りをささげ「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と申し上げると、主は「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」と預言者を遣わして話され、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美すると、主は伏兵を設けて、残党は同士討ちをさせて大勝利を与えられたのでした(歴代誌第二20章1節―26節)。だれにでも恐れや思い煩い、心配するようなことが襲って来ますが、今日の聖句が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と勧めているように、恐怖に支配されどうにもならないような状態に陥ってしまわないように、恐れや思い煩いが襲って来た瞬間、ヨシャパテのように、主がどのように偉大な方であるかを、十字架で示された神の愛を思い起こし、「アバ、父」と主に助けを求め恐怖に陥れる奴隷の霊から心と思いを守っていただこうではありませんか。