神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしです。(テモテへの手紙第一2章5節)

1.ヨブ記17章19節―21節
2.コリント人への手紙第二5章17節―21節
3.コロサイ人への手紙2章8節―15節
4.ローマ人への手紙7章19節ー8章3節

ウクライナの外相とロシアの外相との会談がなされましたが、進展は見られなかったことを受けて、アナウンサーが仲介できる方がおられますか、と質問したところ、見当たらないことを、さらにプーチン氏を止めることができる人が側近にいますか、という質問にはプチン自身しかいない、と評論家の方が言われたのを伺いながら、今日の聖句「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしです。」を思い起こしましました。律法学者から「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と尋ねられると、イエス様は「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(ギリシャ語のアガパオ=神の愛)。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(ギリシャ語のアガパオ=神の愛)』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つにかかっているのです。」と仰せられました。確かに十戒の内容を見ると、まず神に関する注意事項が書かれ、次に人間関係に関することが語られています(出エジプト記20章1節―17節)。イエス様はその戒めを守る秘訣は神の愛であることを語られたのですが、第二の戒めは「自分を愛するように」とあるためにそれを曲解して「自分を愛せなかったら神も隣人も愛することはできない。」というような教えがキリスト教界に流行りましたし、いまもあるかもしれませんが、自己愛がどんなに悲惨な結果を生み出すかを極端な例になりますが、プーチン氏の言動に見ることができるのではないでしょうか。罪人の代わりにご自身を捧げて神の愛を示され、人には不可能な神との関係を修復してくださっただけでなく、とりなしていてくださる平和の君であるイエス様を仰ぎ見て生きようでありませんか。