死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(コリント人への手紙第一15章56節―57 節)
1.使徒の働き13章32節―39節
2.ローマ人への手紙3章19節―28節
3.ローマ人への手紙8章33節―39節
4.ペテロの手紙第一1章3節―7節
「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」と語っているように、律法に精通していたパウロは、キリスト・イエスを知ることによって律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰によって与えられる神の義を知る者となり(ピリピ人への手紙3章5節―9節)、かつての自分のように神に対して熱心でも、神の義を知らずに自分自身の義に生きている同胞のユダヤ人たちが救われることを願う人となり(ローマ人への手紙10章1節ー4節)、「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」と、この世や人の知恵では解明できない真理を語る者となったのでした。その確証は、「もしキリストがよみがえらなかったら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章16節)」と、語っているようにイエス様が死からよみがえられたことによるものであり、「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と、イエス様を信じた者には神からの賜物である永遠のいのちが与えられていることを語ったのでした。人は必ず死を迎えますが、その時こそキリスト者には律法を成就さた死に勝利され律法を成就されたイエス様から勝利が与えらているために、勝利者として天の御国に移され、朽ちることのない栄光のからだをいただいて永遠に神とともに生きるという明るい将来が待っていることを心に据えて主を仰ぎ見て生きようではありませんか。