身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。(ペテロの手紙第一5章8節―9節)
1.マタイの福音書16章15節―23節
2.ルカの福音書22章31節―42節
3.エペソ人への手紙4章17節―27節
4.エペソ人への手紙6章10節―20節
主がサタンに「おまえはどこから来たのか。」と問われると、サタンが「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」と答えたので、主が「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」と尋ねると、サタンが「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」と言ったので、主は「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」と条件つきでサタンに許可を与えたので、サタンは人災や自然災害をもってヨブの持ち物やこどもたちのいのちを奪っただけでなく(1章7節―22節)、病をもってヨブを攻撃したのですが、彼はサタンがもくろんでいたように主をのろうようなことをせず、サタンに勝利したのでしたが(ヨブ記2章1節―10節)、その秘訣は今日の聖句が語っているように堅く信仰に立っていたからではないでしょうか。ヨブは主の主権を認めていましたし、主はヨブがサタンの試みに勝利できることをご存知で、サタンが試みることを許されたのではないでしょうか。ヤコブは「神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去ります(ヤコブの手紙4章7節)」と悪魔に勝利する秘訣を語っています。今日の聖句が「身を慎み、目をさましていなさい。」と勧めているように、ペテロがサタンの策略に陥ってしまったようなことにならないように(マタイの福音書16章23節)、神である主がどのような方であるかを忘れず、主の許しなしにサタンは攻撃できないこと、しかも悪魔の試みも信仰の糧になることを心に据えて、主から与えられている信仰に立って生きようではありませんか。
