神と私たちの主イエス・キリストを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かになりますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙第二1章2節―3節)

1.ルカの福音書22章31節―34節
2.ヨハネの福音書16章19節―33節
3.コリント人への手紙第一2章1節―5節
4.テモテへの手紙第二2章7節ー8節

イエス様が「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ、すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」と弟子たちに話され、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と申し上げたペテロに「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言う。」と、ペテロが「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と申しあげると弟子たちはみなそう言ったのですが、弟子たちはみなイエス様を見捨てて逃げ、ペテロも、ふたりの女中からイエスさまと一緒にいたことを言われるとそれを打ち消し、三人目の人には「そんな人は知らない。」と言っただけでなくのろいをかけて誓うようなことをし、鶏が鳴いたときイエス様のことばを思い出して中庭から出て激しく泣いたのでした(マタイの福音書26章31節―56節及び69節―75節)。そのペテロは「神と私たちの主イエス・キリストを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かになりますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」と、恵みと平安を得るためにも、敬虔に生きるためにも神とイエス様を知ることの大切さを強調していす。ところで、ルカはイエス様がペテロに「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と、事前に告げておられたことを語っています(ルカの福音書22章31節―32節)。考えてみてください。死からよみがえられ父なる神の右に座しておられるイエス様は、私たちの弱さをよくご存知で祈っていてくださるのです。イエス様が祈っていてくださるのです。すごいことではないでしょうか。ペテロやパウロのように(コリント人への手紙第一2章2節)、信仰が神の力によってささえられるために、十字架にかけられた、信仰の創始者であり完成者であるイエス様のことをいつも思って生きようではありませんか。