満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一66節)

1.申命記8章1節―18節
2.ヨハネの福音書6章32節―35節
3.テモテへの手紙第一6章9節―16節
4.ピリピ人への手紙4章8節―13節

人はとかくさまざまな利益を求めて生きているのではないでしょうか。ソロモンは自分の利益を求めずに「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と申し上げたので、神は知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、彼が願わなかった富や誉をもあたえることを約束したのですが(列王記第一3章3節―13節)、ソロモンは、神から与えられた知恵や判断力をもって愚かさを身につける、すなわち神を考慮しない世の人々の立場で、天の下(この世)のあらゆる分野を探索されたのでしたが、ヨハネが「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らしむきの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものです。世と世の欲は滅びます。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」と語っているように、彼は、この世が与えることのできるすべての分野を探索した結果、この世が与えることができるのは空しさであることを悟とともに(伝道者の書1章2節―3節)、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ、神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節―14節)」と、神との関係が最も大切であることを結論づけました。欲望は次から次に欲望を生み出し、心に満足を与えることができないことを経験されたのでしょう。多くの宗教は信じれば繁栄するというようなことを提唱します。パウロは今日の前句で敬虔を利得の手段と考えている人がおられることを語っています。キリスト者も気をつけないと、主に感謝をもって捧げるよりも、成功や利益を求めて献金を捧げてしまう危険性があるのではないでしょうか。今日の聖句「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」を心に据えて、神がどんな偉大な方であるかを思い起こし、すべてのことを働かせて益としてくださる神を信じて生きる事自体が大きな利益を受ける道であることを忘れずに生きようではありませんか。