神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ書30章15節)

1.詩篇62篇1節―8節
2.イザヤ書40章27節―31節
3.哀歌3章22節―28節
4.使徒の働き1章3節―8節

蛇に化身した悪魔の策略に陥ったエバと神よりも妻の声に従って神が禁じた善悪の知識の木からアダムが食べたために、サタンが言ったように、確かに彼らたちの目が開かれて自分たちが裸であるのを知り、いちじくの葉をつづり合わせて自分たちの腰のおおいを作り、神である主の声を聞くと園の木の間に隠れたように(創世記3章5節ー8節、17節)、人は神と神のことばよりも、自分の考えや感情で物事を判断するような生き方をするようになったために間違った決断をしやすいのではないでしょうか。だれも恐れて闘うことができなかったゴリアテに対して「万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」と言って小石で彼を倒しただけでなく、どこでもサウルが遣わすところで勝利収め、神の力を体験していたダビデでも、サウルの手から逃れるために神よりも自分の考えで行動してペリシテ人の地ツイケラグに住んでいましたが、イスラエルとの戦いに一緒に行くようにアキシ王から誘われましたが、そのことから救われて帰還すると、町が焼かれすべてのものが略奪されていたために、サウルではなくいつも一緒にいた同胞がダビデを石で打ち殺そうと言い出したのですが、そのような窮地に追い込まれた彼は、彼の神、主によって奮い立ち主に追うべきかどうかを尋ねる、すなわち主に立ち返ると、主が「追え、必ずおいつくことができる。必ず救い出す。」と仰せられたように、略奪隊アマレク人から見捨てられたエジプト人を見つけてすべての情報を得て奪われたすべての物だけでなくそれ以上のものを得たのでした(サムエル記第一30章1節ー19節)。今日の聖句が「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」と語っているように、自分の考えや感情で失敗をし、失態を招いても、後悔するのではなく自分の考えや感情を静めて、主に立ち返って主を信頼するなら、ダビデのように主が奇蹟を起こしてくださるのではないでしょうか。主がどのような方であるかを心に据えながら、主の御前に静まるときを大切にしようではありませんか。