神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)
1.ルカの福音書24章44節―53節
2.使徒の働き4章5節―31節
3.使徒の働き6章8節―10節
4.コリント人への手紙第一2章3節―12節
イエス様は昇天される前、弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられたように、ペンテコステの日に聖霊が下ったのは福音宣教のためであったのですが、パウロが「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊をうけたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ人への手紙8章15節―16節)」と語っているように、神の子とされていることを確信させ、恐怖からも解放されるためでもあったのでした。パウロはテモテに「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」とテモテを励まされたのですが、それは、パウロご自身が肉の思いが強いコリントの教会に行った時のことを「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。(コリント人への手紙第一2章3節―4節)」と証しておられるように、ご自身が経験したことであったからではないでしょうか。おくびょうの霊が私たちを襲ってくる時、ヨハネやペテロ、弟子たちが「いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」と祈られたように、力と愛と慎みの霊である聖霊の力に満たされるように祈ろうではありませんか。
