まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。(詩篇94篇14節)

1.ヨハネの福音書14章16節―20節
2.ヨハネの福音書6章35節―40節
3.ヨハネの福音書10章23節―30節
4.ローマ人への手紙8章33節―39節

神はアブラハムに「あなたは、あなたの生まれた故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12章1節―3節)」と、仰せられ、アブラハムをご自分の民の祖としてカルデヤ人のウルから導き出されたのでした。その上、「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。(創世記17章6節―7節)」と、主は民が神を捨てて王を欲しがることをご存知でありながら(口語訳サムエル記上8章7節)、約束されたように、民を見捨てずにサムエルを遣わしてサウルを初代の王とされたのでした。その後も偶像崇拝に走ったりしましたが、アブラハムとダビデに約束されたように、国を失っていたにもかかわらず1948年にイスラエル国家が樹立し今日に至っているのを見るに及んで、いかに主が真実なかたであるかがわかります。しかも、マタイの福音書1章1節に「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス。キリストの系図」と紹介されています。キリスト者はイスラエルの民と同様アブラハムの子孫であり、ダビデの子孫とされていることを、今日の聖句「まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。」をしっかり心に据えて、失敗や間違いを繰返しても、感情が何を訴えようと自分で自分を裁くことをせず(コリント人への手紙第一4章4節ー5節)、信仰がなくならないようにとりなしていてくださる主がいつもともにおられることを感謝し、パウロのようにキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すものは何もないという確信をもって生きようではありませんか(ローマ人への手紙8章34節―39節)。