私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らず、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵あるものが知っていると思っても、見きわめることはできない。(伝道者の書8章16節―17節)

1.伝道者の書3章1節―10節
2.イザヤ書55章6節―11節
3.ローマ人への手紙11章33節―36節
4.コリント人への手紙第一8章1節―7節

神から「何を与えようか。願え。」と、言われたソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれが、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と申しあげたので、神はソロモンに知恵の心と判断する心を与えられたのでした(列王記第一3章5節及び伊9節―1節)。シェバ女王はソロモンをためすために難問をもってソロモンを訪問し、心にあったすべてのことを質問したのですが、「ソロモンは、彼女のすべての質問を説き明かした。王がわからなくて、彼女に説き明かせなかったことは何一つなかったのですが(列王記第一10章1節―3節)、彼の知恵や判断力は神から与えられたものであったからですが、そのソロモンが「私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らず、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵あるものが知っていると思っても、見きわめることはできない。」と、聖霊に満たされていたパウロも「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)」と語ってから、「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」と、わかったこととわからないことを語っています。キリスト者には、すべてのことを教え、イエス様のことばを思い起こさせてくださる聖霊(ヨハネの福音書14章26節)が内住していますが、それでも理解できないで悩むような事や時がありますが、そのような時、箴言3章5節―6節が「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、神は人知では把握できないほど大いなる神であることを思い起こし、主を信頼して生活しようではありませんか。