神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行われた神よ。御力を示してください。(詩篇68篇28節)

1.ヨハネの福音書12章20節―28節
2.使徒の働き4章9節―31節
3.コリント人への手紙第一1章18節―25節
4.エペソ人への手紙1章17節―23節

イスラエルの民は紅海を主が二つに分けられてかわいた地を通って渡り終えると、海水が元に戻り追ってきたエジプト軍がひとり残らず溺死したのを見たにもかかわらず、モーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」と迫ったので、アロンは金の子牛をつくり「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」などと言って罪を犯したように(出エジプト記32章1節―4節)、人は偶像崇拝に陥りやすい弱さを抱えています。特に、アハズ王がイザベルを妻に迎えたために、バアルに仕え、アシュラ像を造るようなことをしたので、エリヤが「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」と言っても民は一言も答えなかったのでした。そこで、エリヤは雄牛を切り裂きたきぎの上に乗せてそれぞれの神の名をもって呼ばわり「火をもって答える神、その方が神である。」と提案し、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこられらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」と祈ると、主の火が降って来て、全焼のいけにえだけでなく、たきぎや石、ちりを焼き尽くし、みぞの水までもなめ尽くしてしまったので、それを見た民はひれ伏して「主こそ神です。主こそ神です。」と主に立ち返ったのでした。その国の上に立つ人々が崇拝している神々が(その背後に悪魔や悪霊の働きがあるのですが)その国の霊的状態に、社会に大きな影響を与えることをイスラエルの歴史に見ることができます。リバイバルが起きると神の力が、神の御臨在がその地域をおおうために人々の生き方が変えられ、社会が変わるのです。日本が主に喜ばれる国になるように、罪人を救うために御子イエス様をお遣わしになった神に「神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行われた神よ。御力を示してください。」と祈ろうではありませんか。