わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)

1.申命記8章2節―18節
2.ヨシュア記4章1節―24節
3.ローマ人への手紙8章32節―34節
4.ペテロの手紙第一2章22節ー25節

イスラエルの民は多くの奇蹟を体験しながら、欲にかられると主に求めるよりも不平不満をもらし、恐れにかられると主に対して不信の罪を犯し、約束地が与えられていることを忘れて、何かあるとすぐにエジプトを懐かしみ、挙げ句の果てに約束の地を偵察にいった者のうち約束の地について悪く言いふらした者たちのことばを信じて、「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜が流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし、主がわたしたちととこにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と警告したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたので、主は二十歳以上の者のうちヨシュアとカレブ以外の者たちは彼らが願ったように約束の地ではなく荒野で死ぬことを告げられたのでした(民数記13章32節―14章29節)。モーセさえも、主が吐き気をもよおすほど一ヶ月間肉を与える事を話されると「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。」と語り、主に不可能ではないかというような発言をしたので、主は「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」と仰せられ、少なく集めた者でも2300リットルもの(牛乳パック2300本)うずらを降らせたのでした(民数記11章4節―32節)。恐れや欲に支配されると神がどのような方であり、どれほどの力があるのかを忘れて不信の罪を犯してしまうのではないでしょうか。今日の聖句が「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。」と勧めているように、不信の罪に陥らないように、永遠の死から救い、永遠のいのちを、生ける望みを与えるために御子イエス様をお遣わしくださった神の愛と十字架において恵みとまことを実現してくださった主をほめたたえて生活しようではありませんか。