怒りを遅くする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。(箴言14章29節)
1.詩篇37篇1節ー8節
2.エペソ人への手紙4章26節−27節
3.コロサイ人への手紙3章2節―13節
4.ヤコブの手紙1章12節−21節
サウル王は民に王として紹介されるとき、物陰に隠れてしまうような人でしたが(サムエル記第一10章22節)、ペリシテ人との戦いに勝利して帰還したとき、イスラエルのすべての町々から女性たちが出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながらサウル王を迎えたのですが、彼女たちは笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と繰り返し歌ったために、サウルは非常に怒り不満に思って「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と言ったのでした。彼はダビデを非常に愛し、軍の長に任命したにもかかわらず、その歌を聞いた日から彼の人生の目的はダビデを殺害することに向けられたのでした(サムエル記第一16章21節、サムエル記第一18章5節―11節)。彼が怒りを遅くできなかったのは、すでに神との関係が崩れていたことにあるのではないでしょうか(サムエル記第一13章13節―14節)。イギリスのリヴァイヴァルに用いられたスミス・ウイグルスワース牧師は、神との関係において、まず怒りに勝利されたということを伺ったことがあります。それはまさしく、今日の聖句が「怒りを遅くする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。」と語っているように、神に関する英知、すなわち神がどのような方であるかという認識が深くなったことによるのではないでしょうか。もしサウルに英知があったなら、ダビデはサウルが遣わす所に出ていって勝利を収めたのですから、ダビデがいかに忠実なしもべであるかを認識するとともに、神がすばらしい家来を与えてくださった、と喜ぶことができたのではないでしょうか。ヤコブは「だれでも、聞くのには早く、語るには遅く、怒るには遅いようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(ヤコブの手紙1章19節−20節)」と、パウロは「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と助言しています。私たちは感情を持っていますから、すぐに怒ってしまうことが多々ありますが、そのような時、怒りや短気から解放されるために、主はすべてご存知である事を思い起こそうではありませんか。