神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ、力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。(詩篇68篇35節)
1.申命記8章11節ー18節
2.歴代誌第一29章10節ー13節
3.イザヤ書40章27節ー31節
4.ピリピ人への手紙4章12節ー13節
エリヤが「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」とイスラエルの民に尋ねたにもかかわらず、民が一言も答えなかったので、彼はバアルが神なのかどうなのか明らかにするためにバアルの預言者たちもエリヤも一頭の雄牛を切り裂いてたきぎの上に載せ、火をつけないでおいて、自分たちの神の名で呼んだとき、火をもって答える神を神と認めるようにしようという提案に民は同意したのでした。バアルの預言者たち450人がいくら大きな声で呼ばわっても、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけても何も起こらなかったのですが、エリヤはまず十二部族だったので十二個の石をもって祭壇を築いてから祭壇の回りにみぞを掘ってからたきぎを並べて切り裂いた雄牛をその上に載せてから全焼のいけにえとたきぎに水を二回、合計八つのかめに満たした水をかけてから、主のみことばによってすべての事を行ったことが明らかにされますように主よ私に答えてくださいと、民が主こそ神であることを、心を翻してくださることを知ることができるように申し上げると、天から主の火が降って来て全焼のいけにえだけでなく、たきぎも石もみぞの水さえもなめ尽くしたのでした。それを見た民は「主こそ神です。主こそ神です。」と主に立ち返ったのでした(列王記第一18章19節―39節)。そのような体験をしたにもかかわらずバアルの預言者たちを養っていたイザベルが使者を遣わしてエリヤを殺することを告げられた彼は恐れて荒野へ逃げて行ったのでした。今日の聖句「神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ、力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。」を心に据えて、私たちの願いや祈りは十字架の主ではなく、死に勝利されて父なる神の右に座しておられる力も勢いも与えてくださる主に届いている事を忘れずに、主をほめたたえて祈ろうではありませんか。