私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(出エジプト記33章16節)

1.マラキ書3章13節ー18節
2.エペソ人への手紙2章1節ー9節
3.マタイの福音書7章15節ー23節
4.マタイの福音書28章1節ー20節

人はとかく自分の道は自分で開くものであると、自分の思いや考えで物事を決断しているように思いがちですが、パウロはイエス様から与えられた使命について「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせるためである。」と、キリストを信じる前の状態について「あなたがたは自分の罪禍と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順な子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と、他者や世全体を支配している悪しき者であるサタン(悪魔とも呼ばれる)に支配されていたことを語っています。イエス様は「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」と神はえこひいきする方、差別する方ではありませんが、今日の聖句が「私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。」と語っているように、神との関係を持っているか、持っていないかの違いによる区別があることを語っています。歌詞が評価されてノーベル文学賞をいただいたボブ・ディラン氏はクリスチャンになってから「人はだれかに仕えている、神に仕えているか、悪魔に仕えているかのどちらかである。」という歌詞をつけて曲を作られました。神の民とされていることを感謝するとともに、人は神に仕えているか、世全体を支配している悪魔に支配されているかの違いしかないことをご存知ない人々の心の目が開かれ、イエス様を信じる人々が起こされますように祈ろうではありませんか。