神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字は人を殺し、御霊は生かすからです。(コリント人への手紙第二3章6節)

1.ヨハネの福音書653節―63
2.使徒の働き21節―42
3.ローマ人への手紙623節―76
4.ヘブル人への手紙101節ー18

パリサイ人であったときのパウロは聖霊を持たず、律法の行いによる自分の義に生き、キリストを信じることによって神から与えられる義を知らずにキリスト者を迫害していましたがダマスコの途上でイエス様から声をかけられアナニヤが遣わされバプテスマを受けて聖霊に満たされたパウロは「律法による義についてならば非難されるところのない者です(ピリピ人への手紙3章6節)」と、自分を誇る者ではなく、内なる人としては神の律法を喜んでいるにもかかわらず、それに反する力があることを悩み「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と嘆きましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」と(ローマ人への手紙7章19節―8章1節)、死をもたらす罪から完全に救われる道がキリストにあることを語るとともに、「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『なぜなら、木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです(ガラテヤ人への手紙3章13節)」とキリスト者に与えられている祝福を語るとともに、「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字は人を殺し、御霊は生かすからです。」と、古い契約である律法に仕える者ではなく、御霊によって新しく生まれたことによって、恵みとまことを実現してくださったキリストに仕える者となる資格が与えられていることを、ご自身をささげられたイエス様、御子をお遣わしくださった神の愛、ローマ人への手紙14章18節「キリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。」を心に据えて生活しようではありませんか。たとえ失敗しても、御霊もイエス様もとりなしていてくださることを思い起こし(ローマ人への手紙8章27節及び34節)、自分で自分を罪に定めるのではなく主の恵みと十字架で示された神の愛の中に生きようではありませんか。