何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節―7節)
1.詩篇145篇8節―19節
2.マタイの福音書6章6節―13節
3.ヨハネの福音書16章19節―24節
4.ヤコブの手紙5章13節ー16節
コロナ禍が収束するどころか、感染が広がっている状況に人の知恵の限界を感じられたのでしょう。昨日の報道番組の中で、クリスチャンかどうかわかりませんが、「ただ祈るだけですね。」とコメントされた方がおられましたが、その祈りがどなたに向かってささげられるのかな、と思うとともに、おびただしい大軍が攻めてくることを知らされ恐れたヨシャパテがまずしたことは、ただひたすら主に助けを求めて「私たちに向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしたら、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」という祈りを(歴代誌第二20章1節―5節及12節)を思い起こすとともに、「祈り」について考えました。世の人々は恐れや心配、思い煩いを抱えながら願いや祈りをささげているのではないでしょうか。しかし、今日の聖句は「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と、何も思い煩わないで感謝をもって祈ったり願ったりすることを勧めるとともに、その結果として神の平安が私たちの心と思いを思い煩いから守られることを語っています。あらゆる場合に感謝をもって祈りや願いをささげる秘訣は、詩篇68篇19節―20節が「ほむべきかな。日々私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救い主であられる神。神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。」と、イエス様が「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」と仰せられたように、恐れや心配、思い煩っていることを主に正直に申し上げて主に委ねる、すなわち主にお渡しするとともに、主の御名をもって祈る私たちの祈りは空を打つようなものではなく、第三の天に座しておられるまことに神、全能なる神に確かに届いている事を覚えるとともに、すべてのことを働かせて益としてくださる神である事を思い起こして感謝と喜びをもって人々の救いのために祈ろうではありませんか。